空気を読まないブログ

筆者、中杜カズサが思いついたことをつらつらと垂れ流すように。 日記のようなニュースのような。
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 久し振りに日本史からの話題です。

 時は鎌倉時代、3代将軍源実朝が暗殺されたために、源氏将軍が3代で滅亡したというのは日本史の授業でも必ず習いますので、知っている方も多いと思われます。(まあ、この暗殺自体実権を握りたかった北条氏の陰謀説とか私怨説とかいろいろありますが、そこらへんは長くなるので割愛します)

 さて、この暗殺が契機となって後鳥羽上皇が兵を集めて承久の乱を起こすのですが、この後鳥羽上皇、それまで実朝に対し貴族の位を与えまくっていました。(たしか実朝が殺されたのも右大臣拝命の日だったような)
 しかしながらこの後鳥羽上皇、幕府に対してはかなりのタカ派で、源頼朝によって一度は武士に奪われた政権を、貴族に取り戻そうとしていたのは有名です。(故に承久の乱を起こしたのですが)

 では何故、この後鳥羽上皇は実朝に位を与えまくっていたのでしょうか?
 一種の懐柔策、という考え方もありますが、史料によると呪法の「官打ち」が行われていたという説があります。

 さて、この「官打ち」とは何でしょうか?
 これは、呪法というくらいですから、もちろん呪いの一種です。どういうものかというと、「人間、その人の器に見合う以上の官位を与えることにより、その人の運気を奪い取ってしまい、死に至らしめる」というものです。
 実際、実朝の位がどんどん上がっていった時、周囲に「不吉だから自重したほうが」と忠告されています。(まあ、この忠告自体、天皇家の陰謀を察知していた北条氏が間接的に言わせたという話もありますが)

 まあ、この説が本当だとしたら、後々は後鳥羽上皇も実朝を亡き者にするつもり満々だったのでしょう。ただ、思ったより(つまり北条氏がまだ実権を握っている段階で)早く死なれてしまったので焦って兵を集めたと。


 しかしながら、この呪法「官打ち」について考えてみたところ、別に呪いなどという非科学的なものでなくても説明出来てしまうのではないかと思いました。
 この時代、真面目な日本人が低い官位から急に上に上げられたらどうなるでしょう。1つや2つ上ならともかく、慣れる前にとんでもない位に任命された場合、相当なプレッシャーがかかるのではないでしょうか。
 現代で例えるなら、ある時大企業の新入社員が社長の気まぐれで大プロジェクトの責任者を負かされてしまいます。その新入社員は成功するかといえば、多くの場合、プレッシャーで潰れてしまうような気がします。
 まあ、要はプレッシャーによる精神的圧力ってことですね。

 そう考えると、現在でも呪法「官打ち」ってそこかしこにあるような気がしませんか?

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◇追記…
 余談ですが、実朝自身はこの呪いで死んだのか、というとそうでもなさそうです。それは(北条氏に実権を奪われてゆき、やや形だけになってきていたとはいえども)すでに武士の最高職、将軍でしたし、史料でも、「おそらく自分の代で源氏将軍の血は絶える」と早期の死を予言していたようなことまで語っていると残されています。
 結局、呪法「官打ち」自体は、後鳥羽上皇の空回りだったように思えるのです。


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 今日は歴史…と言うより雑談に近いです。

 私は、何故か昔からどんな話でも「第3者」が気になるタイプです。たとえば、映画の『卒業』なら、花嫁と、花嫁を強奪した主人公の他に、完全に道化となってしまった結婚式における婿とか、ドラマなら銀行強盗を説得するために出てきた母親のその後とか。ドラえもんでも主要メンバーの将来より、修正された未来のジャイ子がどうなったかが気になります。

 しかし、話の展開上そういう人物のその後というのはほとんど語られることはありません。まあ、当然といえば当然ですが。(それでも最近はそういった人物にスポットライトが当たることも増えてきましたが)

 それは歴史にも当てはまります。特に昔から気になっているのは「家康に鯛の天ぷらを食わせた時の料理人はどうなったか」です。
 
 家康は、大阪夏の陣が終わった1年後の1616年、倒れます。そしてそのまま死亡するのですが、昔から死因は「鯛の天ぷらにあたって死んだ」と言われています。ご存じの方も多いでしょう。
 しかしながら、最近の学説では、既にこの時家康は胃ガンだったのではないかという説が有力なようです。また、晩年の家康は、自分のふくれた腹でつま先が見えないくらい太っていたとも言われ、その他の病気だった可能性も十分に考えられます。

 もし、鯛の天ぷらが原因じゃなかったとすれば、それを作った料理人は何の罪もありません。しかし、おそらくこの時点で、日本で一番えらい人物を死に至らしめる料理を出した人間は、資材になった可能性が高いです。
 でも、そうならば、無実の罪を着せられたわけで、この名もなき料理人は悲劇の人物ではないでしょうか。しかし、史料は私の知る限り見つかっていないので、知りようがありません。
 彼にも家族がいたかもしれません、もしくは夢があったのかもしれません。それなのに…これに比べればこの家康が影武者であろうかなかろうかなんてのは些細な問題です(そうか?)。

 まあ、このように歴史に限らず物語をよりいっそう楽しみたい場合は、こんな第3者に注目してみるのも面白いのではないでしょうか。(っていうか、料理人ってもはや第3者でさえないような気もしますが、まあいいや)


○おまけ(上の文章をこの本のように影武者だったとして読むと、ちょっと面白くなるかも)
 ・影武者徳川家康〈上〉
 ・影武者徳川家康〈中〉
 ・影武者徳川家康〈下〉

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●追記
 実はあとひとり、気になっていた人物がいました。それはアルキメデスが、国王に王冠が純金製かどうか調べてくれと言われ、その時アルキメデスの原理を発見した(ついでに浴場から町を裸でランニングした)というエピソードがありますが、その時純金の王冠に他のものを混ぜて納品した金職人はどうなったかということです。
 しかし、調べるとどううやら死刑になったと言われているそうで。やっぱりというか。まあこっちは自業自得っぽいので。


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 さて、久し振りに日本史ネタです。

 日本史を扱ったドラマでは、飛鳥時代あたりを扱ったものというのは他の時代に比べてだいぶ少ないように思えます。あるのは聖徳太子〜大化の改新くらいでしょうか。
 一番の理由として考えられるのは、この時代は戦国時代や幕末、または源平争乱時代といった武士の時代に比べて表だった戦いが少なく、ドラマには向いていないことでしょう。
 しかし、これが理由かどうかは定かではありませんが、ドラマとしてはあまり触れたくない部分がこの時代には存在します。それはある人物の近親相姦

 ご存じの方も多いと思いますが、世界的に見ても王家の近親婚というのはわりとあることです。しかしながら、やはり遺伝子的に、同一の母親を持つ兄妹、もしくは姉弟の恋愛関係はタブーとされていたようです。(まあ、世界の神話とかでは血縁の恋愛関係ってのはよくあるんですが、それはお話ですしね)

 それを破って恋愛関係だったといわれているのが、中大兄皇子と妹の間人皇女。中大兄皇子は後の天智天皇で、大化の改新の立役者でもある人物です。
 その証拠は『万葉集』にあります。ここに大化の改新直後に即位した天皇、孝徳天皇が妻である間人皇女に中大兄皇子との不倫を示唆している歌を送ったと言われています。
 ちなみにその短歌が詠まれたのは中大兄皇子が都を移す時(正確には一旦遷都したのに都を戻そうとした時)、それを反対する孝徳天皇と意見が対立し、中大兄皇子をはじめ有力貴族が中大兄皇子に従い都を移してしまいますが、間人皇女は、夫である孝徳天皇を置いて兄についていってしまいます。
 ちなみに、中大兄皇子は天皇に即位するのが遅れましたが、(孝徳天皇の死語も即位しなかった)それの原因は、この近親相姦関係による反発が原因という説まであるようです。

 というわけで、近親相姦、ついでに不倫。ドラマで孝徳天皇との争いの原因を下降とすればこの辺は避けて通れないでしょうが、さすがに現代はもちろん当時でもタブーとされていたものを、天皇家が行っていたと露骨に表現するのはあまり好ましいものではないでしょう。故にこのへんのドラマは少ないとも考えられます。

 でも、思い切って歴史物というより古代恋愛モノとかにすれば額田王もいることですし、わりと面白いものが出来そうなのですがね。


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 さて、昨日は年末恒例時代劇が近づいてきたということで『忠臣蔵』を取り上げてみたのですが、ついでに大河ドラマで最終回も近い(らしい)『源義経』について取り上げてみましょう。

 「判官贔屓」の言葉に代表されるように、源義経は悲劇的な人物の代表として取り扱われています。
 一般的には、人気を得た義経は、立場を危惧する兄、源頼朝に疎まれて対立し、最後に殺されたと言われています。(北上逃亡説は長くなるのでここでは割愛)

 しかし、この一連の対立、本当に頼朝のみが悪かったのでしょうか?
 いや、残念ながら、義経にも多大な過失があると思います。

 そういうわけで、ちょっとおおざっぱですがそれについて書いてゆきたいと思います。
(大河ドラマは見ていないのですが、内容が被っていたらスミマセン)

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 まず、「義経は本当に有能で人望がある武将だったのか」と言う疑問に対して、従来のドラマなどとは反対からアプローチしてみます。


 「屋島の戦い」で、船で海に逃げた平家側が、扇を掲げ、それを那須与一に射たせたという、有名なシーンがあります。
 しかしこの後、平家の船で、那須与一を称えるために舞を舞った老武士を、義経は「射よ」と命じ、殺してしまったと言うシーンがあります。
 当時、戦闘開始時にはお互い名乗りをあげてから、というくらい、戦いにも暗黙のルールというか風流みたいなモノがありました。しかし、義経はそれを破って殺してしまったのです。
 実際、平家物語にも「『あ,射たり』といふ人もあり、又『情けなし』といふ者もあり」と書かれています。これは、「(源氏側では)よく射たなという者もいたが、容赦(もしくは風情)がないなという者もいた」と書かれています。
 ここで、必ずしも「人望があった」とは言えない気がしてきます。


 極めつけは壇ノ浦の戦いです。
 ここではある意味、平家壊滅と同じくらいも重要とされる「安徳天皇(当時8歳)の奪回」そして、「三種の神器の奪回」という任務もあったのですが、義経はそれを2つとも失敗しています。(安徳天皇も三種の神器も、負けを悟った平家側によって海の中に葬り去られました。ちなみに安徳天皇は当時8歳)

 もし、下手をすれば「追いつめたせいで、天皇を殺した」という、当時の歴史観としては、これ以上考えられないくらいの最大汚点を残すところだったのです。
 (確定出来る史料がないので何とも言えませんが、義経が突っ込みすぎたことでこうなってしまった可能性もあります)

 また、「三種の神器」のうち、「草薙の剣」はいくら探しても見つからなかったといいます。
 (現在もある鏡が後から見つかったものか、後から作ったものかは不明)

 あとは有名な話ですが、後鳥羽法王の策略にはまり、まんまと位階を授かり、兄に反発するようになります。
 たしかに、本人は活躍したと思っているので、処遇に不満だったのでしょうが、その核略を見抜けないような器では、武士政権のトップはつとまると思いません。
 それどころか、武士が長い戦いの末にようやく手に入れようとした政権を、策略にはまることで台無しにしようとしたのですから。

 そりゃ、武士(源氏)の立場の代表として動いてきた頼朝にとっては、私情を抜きにしても怒りたくなる気持ちはわからないでもありませんよね。


 もちろん、ここあたりのことは見方も学説も複数あり、確定したことは言えないのですが、私の知る限りの義経像では、あまり義経を高く評価出来ないのです。

 でも、忠臣蔵にせよ、「判官贔屓」という心理状態には、ある種感情によって真実を隠してしまう危険性があると思います。

 ま、義経も最後まで生きていたら、また評価が変わったかもしれませんしね。

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追記…
 10月に、一人旅で東北に行って来たのですが、その時に平泉にも寄りました。
 そこで写した「源義経最期の地」と、そこで松尾芭蕉が詠んだとされる「なつくさや つわものどもが ゆめのあと」の記念碑をアップしておきます。

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 まずはじめに、今日の文章は私の個人歴史観で書いてありますので、ご了承くださいませ

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 さて、年末ともなると、そろそろテレビでは特番が始まります。
で、そんななかに○○大賞とか、十大ニュースとかに混じって必ずあるのが時代劇の『忠臣蔵』。

 しかし、私はこれ、あまり好きではありません。
 それは、あまりにも善悪の視点が一方的すぎるからです。

 テレビドラマや映画の『忠臣蔵』は、吉良上野介がずる賢く、臆病な悪役とされています。
 しかしこれは当時、大石内蔵助の忠義心に対して庶民の人気が出たために、戯曲の脚本家(近松門左衛門など)が、こぞって赤穂四十七士を正義に、それに対するように吉良上野乃助を悪にして、それが現在まで続きこうなってしまったといわれています。(いわゆる「仮名手本忠臣蔵」ってヤツですな)

 実際、史実では、「吉良が賄賂をしていた」「浅野内匠頭が斬りつけたの理由は、吉良のいじめによるもの」の、どちらも証拠は存在しません。実際、教育するものの不出来は教育役が恥をかくことになるので、陥れるようなことをするというには疑問が残りますし。

 それに実際、史料を見ると、浅野内匠頭の勤務評定はかなり悪かったといわれています。
 反面、吉良は領地では善政を行い、国内は安定していたようです。(地元では、今も吉良を名君として伝えているようです)

 くわしい経緯は、
http://hccweb1.bai.ne.jp/~hci59701/muda/tyuusingura.html
噂と樽さん)

http://homepage1.nifty.com/longivy/note/top.htm#AK
ろんがいびさん)

などの、忠臣蔵に詳しいサイトを参照してください。

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 ここで、ある疑問が浮かんできました。
 コレがもし現代だったら、どういう感じだったのでしょうか。
 
 …というわけで、ちょっとシミュレートしてみました。

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 先の選挙で初当選した議員1年生の浅野匠代議士(金持ちの2世議員・親父が急死したため出馬)は、世話役に指名された国会議員の吉良代議士(抵抗勢力の派閥に所属)にきちんと挨拶をしなかったため、疎まれるようになります。
 しかもこの浅野くん、若い故に頑固で、融通が利きません。さらに仕事でも、人の言うことを聞かないので、スムーズに進みません。吉良代議士、教育係の自分の責任にもなるので、浅野くんを激しく叱咤します。

 そしてある時、浅野君はキレて、国会議事堂の中でポケットに入っていたカッターを使って吉良先生に怪我を負わせます。そしてその情報はマスコミにリークされます。
 浅野議員は除名→議員辞職、政界からも葬り去られます。しかし、吉良代議士は特におとがめなし。

 そこで、浅野議員を支援する地元の県議達は、一致団結して、吉良代議士のスキャンダルを持ち出し、引退させます。世論は、嫌われていた抵抗勢力の代議士を葬り去ったということで、その県議達に味方します。
 本来なら、県議達の行動は明らかに造反なのですが、首相は一般市民の声に迷います。しかし、党規委員会は「これを許しては、報復合戦になる」と、県議達を罰するように首相を説得しました。

 結局、県議達も除名され、政界から葬り去られたのでした。
(まあ、現代の場合はこうなっても、無所属で当選しそうですけどね)

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 ちなみに現代イメージは、もうちょっと頑張れば、現在の国会議員の実名でも出来そうだったのですが、綱吉=小泉首相ではイメージが合わない上、なんかいろいろシャレにならないことになりそうだったのでやめておきました。(まあ、斬りかかる某杉村議員とかもイメージできませんが)

 さて、これを見て悪いのは誰でしょうか?
 もちろん、吉良代議士にもケンカが起きた以上原因がないとはいえませんが、公共の場で人称沙汰を起こすというのは、選挙区の代表としてきたものの起こす行動ではないでしょう。

 この赤穂事件自体、いろいろな謎に包まれているのでどれが正しいとは言えませんが、吉良ばっかり悪人にするのはどうかということで。

 ま、歴史ってのは一面から見ただけでは真実はつかめないということですね。

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追記…
 ちなみに、裏忠臣蔵として、吉良の家臣や討ち入りに参加しなかった四十七士以外の元浅野家家臣は、その後「不義理」ということで嫌がらせにあい、ひっそり暮らしたケース、ひどいものになると自殺したケースもあるそうです。
 現代で言えば、ある意味マスメディア被害の要素があるかも。

 そう考えると、本当の悪役は当事者ではないのかもしれませんな。